小さな美のポケット 第15話「絵画教室を開く」

2017.06.04 Sunday 11:27
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    6月というのに、早春の頃にもどったような肌寒さ。いったい今年はどうなってるんでしょう?


    きょう、村上新聞の連載「小さな美のポケット」第15話が掲載となりました。今回は「絵画教室を開く」。今から33年前、田端町に新しく建った「レナードビル(獅子座ビル)」に、弟の聡と二人で絵画教室を開いた時の話です。


    1984年から始めた教室は、名前と場所を変えながら6年程続き、のべ70名ほどの生徒さんと関わりました。「WAVE展」という名で6回ほどグループ展を開き、「指導」などというより、一緒に美術を楽しんだ仲間たちです。


    チラシのデザインは弟の聡。この頃はまだぼくら兄弟にも、若いパワーがみなぎっていました。今は・・・?
    パワーの充電時間が長く、小出しにして上手に使うようになりました。(笑)

     

    ************(原稿全文)***************

     

    第十五話「絵画教室を開く」

     

    あれは昭和五十九年のある日のこと。大町で酒店を営んでおられる益田茂彦さんが、突然父を訪ねてこられました。村上の駅前商店街の真ん中に、三階建ての新しいビルを建てることになったのだが、その三階の一室を書道教室として使ってもらえないか、とのお話でした。


    二階には、益田さんの経営される、当時としてはとてもモダンなカフェバーが入ることになり、駅にも近いことから、気持ちが動いた父は、週二回、そこで書道教室をやることにしました。しかしそのほかの曜日を開けておくのはもったいないので、弟とぼくが二人で、デッサンを中心とする絵画教室を開くことにしたのです。


    ぼくらの絵画教室は、木曜夜と土曜の午後とし、受講生を募集すると、いろんな年齢層の人たちから申し込みがあり、五・五坪のスペースは、すぐに満杯になりました。


    この教室の窓側は、全面透明なガラス張りのため、村上のシンボルお城山を正面に、街の見晴らしも良く、とても明るい一室でした。部屋の中央にモティーフを置き、六、七人の生徒さんたちが、それぞれのイーゼルを立てて囲み、熱心にデッサンを描きます。カサコソと鉛筆の音だけが響く室内。下に見える街の喧噪をよそに、この場所には、いつも静かな時間が流れているかのようでした。


    絵が専門でもないぼくら兄弟が、教室を開くなんて、いま考えると、ずいぶんおこがましいことでしたが、
    「他人様(ひとさま)に何かを教えるということは、それ以上に自分自身が何倍も勉強しなければできないことだ。自分の精進のために、やってみるといい。」と、父が薦めてくれたことでもあったのです。


    やがて人数が増えて、金曜日の夜も開くことになり、生徒さんたちの横のつながりもできて、時々の野外スケッチや、懇親パーティーなども企画。さらに何人かの高校生が、志望する美術大学に合格したり、村上市の美術展に教室の生徒全員が大挙して出品したり、また年に一度、「WAVE(ウェイブ)展」という名前で、油絵、水彩、版画、写真、立体など、さまざまな作品によるグループ展を開くまでにもなりました。


    従来の決まり事にとらわれない自由な発想で、このまちに新しい美術の波を起こしたい。あの当時のぼくらには、若くて未熟ながら、それなりに一途な想いがあったのでした。

     

     

     

     

    小さな美のポケット 第14話「祭好きの系譜」

    2017.05.01 Monday 20:21
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      毎月第1日曜掲載(村上新聞)のはずなのですが、大型連休の関係で、5月7日は休刊らしく、5月分はきのう4月30日に、早々の掲載となりました。


      「小さな美のポケット」第14話。今回のタイトルは「祭好きの系譜」。


      父に断りも入れずにこの写真を使ったので、いきなり自分の若い時の姿が目に飛び込んできた父自身、一番びっくりしたようです。


      このところこの連載は、大滝家のプライバシー暴露路線に走っており、お見苦しい点、ひらにご容赦を・・・。<(_ _)>

       

      ************(原稿全文)***************

       

      第十四話「祭好きの系譜」


      どの町でも地元のお祭と言えば、一種独特の熱っぽさがあるのでしょうが、ここ村上でも、それは例外ではありません。


      村上市の村上地区には、七月七日「村上大祭」、九月四日「瀬波大祭」、十月十九日「岩船大祭」と、それぞれ数百年の伝統を誇るお祭があり、いずれも地元で「おしゃぎり」と呼ばれる、豪華な彫刻と漆で彩られた屋台が、子どもたちを乗せ、笛、太鼓、鉦などによるお囃子を奏でながら、何台も引き回されます。


      ぼくも子どもの頃から、自分の町内の屋台を引くのが、ほんとうに楽しみでした。わが家のアルバムに残されている一枚のモノクロ写真。そこには、屋台の側で父の腕に抱っこされながら、夏の日差しにちょっとまぶしそうに顔をしかめた幼い日の自分がいます。


      父は、ひとつひとつの屋台を見せながら、そこに施された堆朱堆黒の技や、「乗せもの」の特徴などを、事細かに教えてくれたものでした。祭の日が近づくにつれ、そわそわと落ち着かなくなる祖父を見るにつけても、祭に寄せる想いが、何世代にも渡り、自分にまで受け継がれてきていることに、子ども心にも、ある種の誇らしさのようなものが感じられたのです。


      祭には、人々を熱狂させる力と、日常を離れた特別な感覚世界があるように思います。それは、言葉ではなかなか表現できないもので、他地域の人に伝えるのは難しいことなのですが、たとえば、「手木(てぎ)」と呼ばれる、屋台の太いケヤキの引き手に触れるだけで高揚感を覚えるようなこと。あるいは、先太鼓の奏でるリズムや、みんなで声を合わせて歌う「引き回し唄」に陶酔したり、屋台に下げられた提灯の灯りが、暗闇にゆらゆらと揺れる様子。「見送り」という後ろにつけられた彫刻を右に左に揺らしながら、屋台が細い路地を曲がっていく姿を、うっとりと眺めたりすることなどは、誰から教えられたわけでもなく、この土地に生まれ育った者だけに受け継がれた、地域独特の「美意識」なのかもしれません。


      普段は何を考えているのかわからないようなうちの息子にも、この感覚は伝わっているらしく、祭の練習が始まると、毎晩いそいそと出かけていきます。普段希薄になった世代間の縦の交わりは、祭を介して、なんとか保たれているようです。

       

      小さな美のポケット 第13話「祖母」

      2017.04.02 Sunday 19:50
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        毎月第1日曜日の村上新聞連載随筆「小さな美のポケット」第13話です。今回は、ぼくの「祖母」の話。


        ぼくが小学4年生のとき、上顎癌(じょうがくガン)で亡くなったのですが、その時の様子を書きました。ちょうど新潟地震があったその月のことです。


        写真は、生まれて間もないぼくを抱いた祖母と、祖父、父、母、叔母(父の妹)。ぼくの人格の半分は、この祖母から授かったものだと思っています。


        不覚にも、原稿を書きながら、涙がこぼれてしまいました・・・。

         

        ************(原稿全文)***************

        第十三話「祖母」

         

        ぼくが学校から帰ると、祖母はいつも、少し薄暗い六畳の座敷に寝たままで、「おかえり」とにっこり迎えてくれました。「上あごの癌(がん)」という重い病気にかかり、新潟の病院でコバルトによる放射線治療を受けたのですが、治る見込みがなく、自宅で寝たきりになっていたのです。


        何の前触れもなく、突然こんな病気にかかり、おまけにコバルト照射による副作用で、頭痛はひどく、常に口の中は荒れ放題。頬の肉がただれ落ち、白いお粥を真っ赤な血で染めることさえあったという話を、後に母から聞きました。


        ぼくが覚えているのは、そんな苦しい表情など少しも見せず、いつもにこやかにほほえんでいる姿です。孫のぼくを誰よりも可愛がってくれ、「豊」という名前は、祖母がつけてくれたということでした。


        人一倍短気でわがままだった夫である祖父を、上手に扱い、「喧嘩は、ひとりではできないのだから」と、決して人と争うようなことをしなかった祖母は、想像を絶する痛みにも、ひとりでじっと耐えていたのでしょう。


        昭和三十九年六月。新潟を襲ったあの大地震の前に、大量出血をして目がほとんど見えなくなったらしく、激痛のため、地震のときには、すでに意識を失っていたようでした。そしてその月の二十九日未明、とうとう息を引き取ったのです。


        その日の朝、家族や親戚の人たちが、葬式の準備で家の中を忙しそうに動き回るのと対照的に、ぴくりとも動くことのないひとつの小さなからだが、ぼくにはどうしてもあの祖母のものとは思えぬほど違和感があったのを、今も覚えています。しかし、納棺する前の身体を清める際に見つけた、異様なほど大きな背中の床ずれは、まぎれもなく、長く病気の痛みに耐えてきた祖母の、生きた軌跡を示していました。


        「この病気は、お父さんであっても、お母さんであってもたいへんだった。(かかったのが)私で良かった・・・」母にいつもそう言っていたという祖母。家族に対するあふれるばかりの愛情と、強い精神力の持ち主だった祖母のこの言葉は、今でも驚きと尊敬の念をもって、ぼくの心に刻みつけられています。

         

        小さな美のボケット 第12話「木造校舎」

        2017.03.06 Monday 17:41
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          「小さな美のポケット」(村上新聞 月1回の連載エッセイ)第12話が、きのう掲載されました。今回のテーマは「木造校舎」。


          写真は、村上小学校の旧校舎南廊下ですが、覚えておられる方も多いことでしょう。この薄暗がりが、ぼくにとってはとても魅力でした・・・。


          「わが心の学び舎」というこの写真集には、ほかにも第一,第二講堂、北舎、南舎、東舎、中央廊下、音楽室、木の階段、正面玄関、トイレ、足洗い場、用務員室、池、砂場、花壇、石炭置き場・・・などなど、ここを母校とした人たちにとっては、懐かしい写真が満載です。(*^_^*)

           

          ************(原稿全文)***************

           

          第十二話「木造校舎」

           

          今ぼくは、あるモノクロの冊子をひとつ手にしています。「わが心の学び舎」と題された、旧村上小学校の写真集です。昭和七年に建設されたというこの木造校舎は、この冊子が発行された昭和五十四年、すべて取り壊され、鉄筋コンクリートに建てかえられたのでした。けれど、未だぼくの頭の記憶装置には、当時の校舎の間取りや空間、そこに置かれていたものまでが、鮮明に焼き付けられています。


          理科準備室にあったちょっと気味の悪いガラス瓶の標本、音楽室にかけられていた音楽家の古い肖像画、だるまストーブ用の薄暗い石炭置き場、がっしりした木の階段、傷だらけの机や椅子・・・。どれひとつとっても、それは、長い年月が塗り込められたものばかりで、どっしりとした威厳を備え、ぼくら子どもの心に、言いしれぬ畏敬の念を興させるものでした。


          もちろん、アルミサッシではない木製の窓は隙間だらけで、冬になると雪が吹き込み、トイレの戸のいくつかは、いつも壊れたままで、お世辞にも快適とは言えない校舎でした。


          けれどそこには、階段の下の薄暗がりや、講堂のステージの裏側、うっそうと植物が茂った池の周りなど、足を踏み入れるのが、ぞくぞくするようなミステリアスな場所がいくつも存在し、そこは子どもの想像力を刺激するのに十分な魅力を備えていたのです。


          不思議なことに、四十才くらいまで、ぼくが毎晩見る夢の舞台は、この小学校の校舎に決まっていました。どんな人が登場する夢であっても、場所は必ずこの校舎なのです。そこはもう、単なる懐かしさを超えた、ぼく自身の意識の奥底に眠る「心の原風景」だったのかもしれません。


          近年建てられた学校は、どこも明るく機能的で、古いもの、暗い部分などは、極力排除されてしまったようです。けれどぼくらが、長い廊下の雑巾掛けや、校舎内でのかくれんぼなどを通して、体力や感性を養うことができたのは、この木造校舎にこめられた「時間と空間の力」によるものなのでした。それはあたかも幼い頃に、おじいちゃんやおばあちゃんから聞いた昔話のように、還暦を超えた今でさえ、ぼくの心の中に、確かな存在感を持って生きているのです。

           

          小さな美のポケット 第11話「社交ダンス」

          2017.02.05 Sunday 19:29
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            先月の第1日曜は、元旦だったため掲載がなく、2ヶ月ぶりの「小さな美のポケット」(村上新聞の連載エッセイ)です。


            今回は、二十代の頃にやっていた「社交ダンス」のお話。
            サングラスなんかかけた、気障な自分・・・。


            この記事を見たかみさんが、「あなたと踊っているこの人は誰?」と聞いてきました。

            とくに他意はないと思いますが・・・f(^ー^;

             

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            第十一話「社交ダンス」

             

            ミラーボールがゆっくりと回転し、広いホールは、きらびやかな光に包まれています。魅惑的な音楽が流れ、着飾った何組ものカップルが華やかに踊るダンス・パーティー。そういう世界は、映画で見るくらいで、自分には到底、縁のないものと思っていました。


            ところが、昭和五十四年、村上市に初めて「勤労青少年ホーム」という施設ができ、そこに若者向けの「社交ダンス講座」が開講されるという公報を見て、ぼくは何を思ったか、突然、この講座を受講してみようという気になりました。ダンスなど、中学校の時のフォークダンスくらいしかやったことがなく、気恥ずかしくはあったのですが、家で仕事をすることがほとんどだったぼくにとって、女性と気軽に触れあうことができる機会をもつことが、何となく楽しそうだなと思えたのです。


            講師の方は、岩船でクリーニング店を営んでおられる、とても気さくなご夫婦で、全くの初心者であるぼくにも、ゆっくりと丁寧に指導して下さいました。


            基本的な立ち方、姿勢、手の組み方などに始まり、ブルース、マンボ、ジルバ、ワルツ、キューバンルンバ、タンゴと、ダンスの種類ごとに、毎週少しずつ、新しいステップを覚えます。最初は相手の足を踏むのが恐くて、下ばかりを見ていたのですが、お互いにぴったり身体を接することで、その心配がなくなることを学びました。


            社交ダンスは、基本的に男性がリードし、女性がそれに合わせて動くのですが、先生ご夫妻のダンスは、どんな早い動きでも、二人の息がぴたりと合い、まるでひとつの身体を共有しているように見えるのです。男性は、次に自分がどう動きたいかを相手に伝え、女性はそれを素早く感じとって、ステップを合わせる。お互いに言葉ではなく、微妙な身体の動きだけで、それを伝え合うということが、面白く、またとても素敵なことのように感じました。


            一年後、講座から自主サークルとなって、ぼくはその部長に推され、自分たちでクリスマスのダンスパーティーを企画するなど、活発に活動しました。


            音楽のリズムを仲立ちにしながら、男女二人が息を合わせ、つくり出す動きの美しさ、楽しさ。ぼくは同世代の仲間とともに、ここでも「言葉を超えた美の世界」を共有することができたのでした。

             

            小さな美のポケット 第10話「生きている素材」

            2016.12.05 Monday 20:32
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              新聞記事ばかりの投稿でごめんなさい。
              昨日「小さな美のポケット」第10話が掲載されました。(村上新聞)


              今回のお話は、「漆」と自分の関わりについて。


              漆は、生命ある「魔法の液」・・・けっして大げさな表現ではないと、ぼく自身は思っているのですが・・・


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              第十話「生命ある素材」

               


              ぼくは、「漆」というものとつきあって、もう四十年になります。


              最初は、それほどには感じなかったのですが、時が経つにつれ、履き慣れた靴がぴったり足に添うように、「漆」という液体が、自分の生活にすんなりとなじみ、なくてはならない存在になりました。


              戦前まで全国にたくさん植えられていた漆の木は、漆の需要が減り、今ではずいぶん少なくなったと聞きます。
              ぼくが仕事を始めて間もない頃、一度だけ、漆の木の植樹を体験する機会がありました。それは、郷土の古刹「耕雲寺」の裏手の山でした。


              「これがほんとうに漆の採れる木に育つのだろうか」と思われるほど、頼りなげに見える苗木を、陽当たりと水はけの良い山の斜面に、適度の間隔をあけて、一本ずつ植え込んでいきます。この苗が十二年ほど経つと、やっと一人前の太さの樹となり、漆が採れるようになるのです。


              漆の採取は六月から十一月頃まで。約五日目ごとに新たな傷をつけながら、半年間で漆を取り尽くすと、樹は根本から伐採されてしまいます。せっかく十二年もかけて育てた樹を傷だらけにして、しかも一年で切り倒してしまうのは、なんとも無惨なことですが、でもその切り株に芽が出て、また何年かすると、漆の採れる木に成長するのです。(木を生かしながら少しずつ漆を採取する「養生掻き」という方法もあります)


              この樹液は、いったん乾くと、塩分、アルコール、酸、アルカリなど、どんなものにも溶けず、とても丈夫で美しい塗膜を作ります。
              山に数ある樹の中で、こんな「魔法の液」とも言えるような、優れた塗料となる樹液を出すのは、この漆の木だけ。考えると不思議ですが、その液体は、樹が自分につけられた傷を治すために、全力でつくり出した、いわば人間の「血液」のようなもので、そこには漆の木の「生命」(いのち)が息づいているのではないだろうか・・・と、ぼくはいつもそう感じながら仕事をしています。


              自分の技の稚拙さにもかかわらず、何とかひとつの作品を仕上げられたときなどは、「漆に助けられた」と感じることが多くあります。丁寧に心をこめて扱えば、きちんと答えてくれる、そんな「生命ある素材」と接しながら、長い間、仕事ができたことを、あらためてありがたく思うこの頃です。

               

              小さな美のポケット 第9話「華やかな別世界」

              2016.11.06 Sunday 22:21
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                村上新聞の連載「小さな美のポケット」第9話が、きょう掲載されました。

                タイトルは「華やかな別世界」です。


                二十代の頃、思い立って通い始めた油絵教室のお話。
                ぼくの漆の平面作品が、すこぶる油絵的なのは、こういう経験をしたからかもしれません。

                ヨーロッパへの憧れと強く結びつき、油絵の具やテレビン油の匂いが、今でも大好きです。(*^_^*)


                -------( 以下,掲載文)-------------


                第九話「華やかな別世界」


                自分の本業は漆工芸ですが、ぼくは早くから、工芸よりも「絵」の方に興味がありました。それがなぜかはわからないのですが、絵は「純粋美術」と言われるだけあって、工芸より自由な表現ができるように感じられたためかもしれません。


                また高橋信一先生に連れて行っていただいたヨーロッパの旅で、アントニ・タピエス、アントニ・クラーベという、スペインの現代画家の作品に強く惹かれるようになったことも、絵画、特に油絵への興味をかき立てられた要因だったようです。


                漆を始めて四年後の一九七九年(昭和五四年)、ぼくは油絵の技法を学び、それを自分の作品づくりに生かすため、新潟市の油彩画家、大橋廣治(ひろじ)先生が主宰される教室に、週に一度、通うことにしました。


                毎週火曜日の夕方、電車で新潟に行き、寄居町のマンションにある先生の教室に向かいます。扉を開けると、美大の受験生なのか、制服姿の高校生が、大勢デッサンをしていました。


                やがて彼らが帰ると、一般の人たちが、ひとりふたりとやってきて、自分の好きな位置にキャンバスを置き、自由に絵を描き始めます。教室にある壺や楽器や民芸品などを並べて描く人、あらかじめ描いた下絵を元にして制作している人など、それぞれです。ぼくもいくつかのモチーフをテーブルに並べ、それを見ながら、筆を動かし始めました。先生は、時々見て回られては、それぞれの人に適切なアドバイスをされます。


                そのうち、中央展にも出品されているお弟子さんたちも集まってこられ、熱い芸術談義が始まりました。


                日展などの公募展に出品しようとする人は、描きかけの大きな作品を持ち込み、率直な批評や助言を求めます。先生を中心にして、さまざまな意見が交換され、それは、絵を描きながら聞いているぼくにとっても、たいへん面白く、刺激的でした。


                油絵の具特有の匂いとともに、一種のサロン的な雰囲気が漂うこの空間は、モネ、ルノアール、セザンヌなど、十九世紀パリの前衛的なグループであった「印象派」の画家の集まりが想像され、漆職人の地味な世界とは違う、華やかで自由な芸術の世界を垣間見せてくれたのです。


                教室を出たぼくには、新潟の夜の街が、「花開く芸術の都」にさえ感じられたものでした。

                 

                小さな美のポケット 第8話「廃船の美」

                2016.10.05 Wednesday 20:00
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                  「小さな美のポケット」(村上新聞 毎月第1日曜掲載)第8話。
                  ぼくの作品づくりの出発点となったのは、岩船の海辺で見つけた「廃船」でした・・・


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                  第八話「廃船の美」


                  母の生まれ育った岩船の町は、幼い頃よく連れて行ってもらったせいか、ぼくにとっても、海の匂いがする「第二のふるさと」のようなところです。狭い路地に、漁をする道具が雑然と置かれていたり、魚が干してあったりするところなど、この町は、まさに「画材の宝庫」と言ってもいいでしょう。そのため、漆で展覧会に出す作品をつくるようになってからは、何度もスケッチに通いました。
                  そこにあったものの中で、ぼくが一番心惹かれ、強い創作意欲をかき立てられたもの。それは、浜辺や川べりにうち捨てられた船、つまり「廃船」でした。


                  最初にそれを見つけたのは、岩船神社から町へ入る「明神橋」(みょうじんばし)のたもとです。かろうじて船の形は保っているものの、風雨にさらされて、ところどころの舟板が朽ち果て、そこに打たれていた釘やボルトが、規則正しく並んだまま、赤茶色に錆びて飛び出したりしています。こんなものが、なぜぼくの心の琴線に触れてくるのか、自分でもわからないまま、「うわっ、いいなあ!」と思わず叫びつつ、夢中で鉛筆を走らせていました。


                  「感動したものを、そっくりそのまま絵にしたらいい。説明はいっさい不要。つくり手の感動がなければ、見る人の心を動かす強い作品は、けっして作れないのだよ。」という高橋信一先生の教えは、「ああ、こういう時のことを言うのか」と思いました。実際、このときのスケッチを元にしてつくった漆の平面作品は、結果的にぼくの「県展初入選作」となったのです。


                  その後、海辺の砂の上でも、素晴らしい廃船を見つけました。船の片方の側面が失われ、残った側の船べりが、海に面して廃墟の壁のように立っていたのです。その自然が生み出したダイナミックな造形がじつに面白く、流れ出た錆で微妙に変化する表面の色彩が、まるで時間が残した足跡のように、美しく感じられました。


                  最近は、危険防止や環境を考えてのことからか、船を直接浜に放置することはなく、廃船はほとんど見られなくなってしまいました。ぼくにとっては残念でなりません。


                  今は亡き先生が「浜辺に自然の廃船公園をつくったらいいのになあ」と言っておられたのを思い出します。

                   

                   

                  小さな美のポケット 第7話「技を覚える」

                  2016.09.05 Monday 20:05
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                    村上新聞の連載「小さな美のポケット」の第7話「技を覚える」が、きのう掲載されました。

                     

                    いま思うと、大学の陶磁工房で、陶芸の基本技「菊練り」を覚えたのが、ぼくの職人に向かう第一歩だったようです。

                     

                    手で覚えたその感覚は、40年以上経った今も、まだ忘れてません。頭で覚えたことは、つい昨日の事だってもうあやふやなのに・・・。

                     

                    子どもたちの学校のテストも、しっかりと自分が身につけたと自覚できるような、こういうものが量れると、その子の自信につながるのになあ・・・と思うこの頃です。(*^_^*)

                     

                    *****(掲載文全文)*******

                     

                    第七話「技を覚える」

                     

                    「何かものをつくる仕事をしたい」
                    そう思い定めて、美術大学に進むことを決意したぼくでしたが、特に「これをやりたい」と思うものが、最初からあったわけではありません。家業を継いで、漆の仕事をすることも考えないではなかったのですが、漆を学べる大学がきわめて少ないことから、ぼくは運良く合格できた武蔵野美術短期大学の工芸デザイン科の中で、形を勉強するには一番直接的だと思われた陶磁器コースを専攻しました。

                     

                    本館とは別に建てられた陶磁工房で、初めて与えられた灰色の土。それを、頑丈に作られた木の台の上で、ひたすら練ることから、陶芸の勉強は始まりました。


                    土の中にわずかでも気泡があると、高温になる窯の中で膨張し、破裂してしまうので、その気泡を追い出すための独特の練り方があるのです。それは、練った形が菊の花びらのようになることから、「菊練り」と呼ばれていますが、それを先輩たちが器用にやっているのを見ると、その形は菊というよりはむしろアンモナイトの化石のようでした。

                     

                    菊練りの作業は、そばで見ている分には、さほど難しいようには感じなかったのですが、自分で実際にやってみると、これがなかなかできません。先輩がアドバイスはしてくれるものの、技は人に教えられるものではなくて、最終的には、自分で覚えるしかないのです。

                     

                    何時間も試行錯誤を繰り返し、いっしょに始めた同期生が、ひとりふたりとできるようになるのを見て焦りながら、毎日それだけを汗だくになってやりました。その結果、五日目に、ぎこちないながらも、やっとのことで菊の花びらの形が作れるようになったのです。それは、ぼくが生まれて初めて、工芸の技をひとつ、マスターすることができた記念すべき瞬間でした。

                     

                    陶芸に限らず、工芸の勉強というのは、すべてこの連続です。知識を覚えることではなく、時間はかかっても、自分の力で、ひとつひとつの技を、確実に身につけていくこと。「頭で覚えず、手で覚えるのだ。」漆を始めてからも、父に何度もそう言われました。不思議なことに、どんなに難しい作業でも、手で覚えたものは、二度と忘れることはないのです。

                     

                    いま当時のことを思い出しながら、ぼくはあらためて、工芸の技というものの面白さと奥深さを感じています。

                     

                    小さな美のポケット 第6話「独り暮らし」

                    2016.08.04 Thursday 21:05
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                      村上新聞の連載「小さな美のポケット」第6話が、7月31日に掲載された。いつもは毎月第1日曜の掲載なのだが、今月は夏休み特大号のため、1週早くなったとのこと。


                      第6話のタイトルは「独り暮らし」。


                      昭和48年(1973年)、ぼくが大学に入って,初めて親元を離れたときの思い出話。しばらくおつきあい下さるだろうか。「神田川」の世界を知っている方なら、共感していただけるかもしれない。


                      レコードをかけたことがないという,今の二十代の人たちにとっては、はるかに遠い昔のことなんだろうな・・・。ぼくも化石化しつつあるのかもしれない。(^^ゞ

                       

                      ********************************

                       

                      第六話「独り暮らし」

                       

                      東京の中央線国分寺駅。そこから北にまっすぐ商店街を歩き、さらに小路を入ってしばらく行ったところに、そのアパートはありました。


                      昭和四十八年、美大に行くことになったぼくは、故郷を離れ、ここで初めて独り暮らしを始めることになったのです。


                      当時はこの辺にも、古い武蔵野の面影が、まだ色濃く残っていました。「吉金荘」(よしがねそう)という名のついたその古いアパートも、そんなうっそうたる雑木林の陰にあり、二棟の建物のうち、林の側の方は、一日中陽が射さないような、そんなところでした。幸いぼくの部屋は林とは反対側で、二階の角部屋の四畳半。入り口のところに半間ほどの幅の「流し」がついていました。


                      トイレは共同。もちろん、お風呂もエアコンもありません。西日がかんかんと当たり、夏は暑くてたまらず、おまけに流しの下は常にゴキブリの巣で、外から帰ると、二、三匹退治してからでないと中に入れないような、そんな部屋でした。そのかわり部屋代は、ひと月七千円という安さだったのです。


                      その一階に、同じ大学で油絵を描いている青山君という学生がいて、すぐ友だちになりました。その頃流行っていたフォークグループ「かぐや姫」の「神田川」などを口ずさみながら、洗面器片手に近くのお風呂屋さんへ行った帰り、彼の部屋にあがり込み、一升瓶の二級酒や、安いウイスキーを茶碗で飲みながら、夜を徹して芸術論や恋愛談義に花を咲かせたものです。


                      それでもやはり、家族と離れて暮らす寂しさが、時として自分の胸にふっと入りこむことがあって、それはたいてい夕刻、近所の家々に灯(ひ)がともり、台所で食事の支度をする音が聞こえてくる頃でした。


                      今までは当たり前すぎて、何とも感じなかったこうした生活の雑音が、ひとりになってはじめて、何かとてもかけがえのないような貴重なものに感じられ、「家」というものの持つ温かさや、人間はそれぞれひとりであっても、いろいろな人とのつながりの中で生きているんだと、実感させられたのでした。


                      若いときに親元を離れて経験する独り暮らしは、自分を見つめ,自分を支えてくれる多くのものに気づくための、おとなへの飛行訓練だったのかもしれません。

                       


                      Calender
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