小さな美のポケット 第13話「祖母」

2017.04.02 Sunday 19:50
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    毎月第1日曜日の村上新聞連載随筆「小さな美のポケット」第13話です。今回は、ぼくの「祖母」の話。


    ぼくが小学4年生のとき、上顎癌(じょうがくガン)で亡くなったのですが、その時の様子を書きました。ちょうど新潟地震があったその月のことです。


    写真は、生まれて間もないぼくを抱いた祖母と、祖父、父、母、叔母(父の妹)。ぼくの人格の半分は、この祖母から授かったものだと思っています。


    不覚にも、原稿を書きながら、涙がこぼれてしまいました・・・。

     

    ************(原稿全文)***************

    第十三話「祖母」

     

    ぼくが学校から帰ると、祖母はいつも、少し薄暗い六畳の座敷に寝たままで、「おかえり」とにっこり迎えてくれました。「上あごの癌(がん)」という重い病気にかかり、新潟の病院でコバルトによる放射線治療を受けたのですが、治る見込みがなく、自宅で寝たきりになっていたのです。


    何の前触れもなく、突然こんな病気にかかり、おまけにコバルト照射による副作用で、頭痛はひどく、常に口の中は荒れ放題。頬の肉がただれ落ち、白いお粥を真っ赤な血で染めることさえあったという話を、後に母から聞きました。


    ぼくが覚えているのは、そんな苦しい表情など少しも見せず、いつもにこやかにほほえんでいる姿です。孫のぼくを誰よりも可愛がってくれ、「豊」という名前は、祖母がつけてくれたということでした。


    人一倍短気でわがままだった夫である祖父を、上手に扱い、「喧嘩は、ひとりではできないのだから」と、決して人と争うようなことをしなかった祖母は、想像を絶する痛みにも、ひとりでじっと耐えていたのでしょう。


    昭和三十九年六月。新潟を襲ったあの大地震の前に、大量出血をして目がほとんど見えなくなったらしく、激痛のため、地震のときには、すでに意識を失っていたようでした。そしてその月の二十九日未明、とうとう息を引き取ったのです。


    その日の朝、家族や親戚の人たちが、葬式の準備で家の中を忙しそうに動き回るのと対照的に、ぴくりとも動くことのないひとつの小さなからだが、ぼくにはどうしてもあの祖母のものとは思えぬほど違和感があったのを、今も覚えています。しかし、納棺する前の身体を清める際に見つけた、異様なほど大きな背中の床ずれは、まぎれもなく、長く病気の痛みに耐えてきた祖母の、生きた軌跡を示していました。


    「この病気は、お父さんであっても、お母さんであってもたいへんだった。(かかったのが)私で良かった・・・」母にいつもそう言っていたという祖母。家族に対するあふれるばかりの愛情と、強い精神力の持ち主だった祖母のこの言葉は、今でも驚きと尊敬の念をもって、ぼくの心に刻みつけられています。

     

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