小さな美のポケット 第6話「独り暮らし」

2016.08.04 Thursday 21:05
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    村上新聞の連載「小さな美のポケット」第6話が、7月31日に掲載された。いつもは毎月第1日曜の掲載なのだが、今月は夏休み特大号のため、1週早くなったとのこと。


    第6話のタイトルは「独り暮らし」。


    昭和48年(1973年)、ぼくが大学に入って,初めて親元を離れたときの思い出話。しばらくおつきあい下さるだろうか。「神田川」の世界を知っている方なら、共感していただけるかもしれない。


    レコードをかけたことがないという,今の二十代の人たちにとっては、はるかに遠い昔のことなんだろうな・・・。ぼくも化石化しつつあるのかもしれない。(^^ゞ

     

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    第六話「独り暮らし」

     

    東京の中央線国分寺駅。そこから北にまっすぐ商店街を歩き、さらに小路を入ってしばらく行ったところに、そのアパートはありました。


    昭和四十八年、美大に行くことになったぼくは、故郷を離れ、ここで初めて独り暮らしを始めることになったのです。


    当時はこの辺にも、古い武蔵野の面影が、まだ色濃く残っていました。「吉金荘」(よしがねそう)という名のついたその古いアパートも、そんなうっそうたる雑木林の陰にあり、二棟の建物のうち、林の側の方は、一日中陽が射さないような、そんなところでした。幸いぼくの部屋は林とは反対側で、二階の角部屋の四畳半。入り口のところに半間ほどの幅の「流し」がついていました。


    トイレは共同。もちろん、お風呂もエアコンもありません。西日がかんかんと当たり、夏は暑くてたまらず、おまけに流しの下は常にゴキブリの巣で、外から帰ると、二、三匹退治してからでないと中に入れないような、そんな部屋でした。そのかわり部屋代は、ひと月七千円という安さだったのです。


    その一階に、同じ大学で油絵を描いている青山君という学生がいて、すぐ友だちになりました。その頃流行っていたフォークグループ「かぐや姫」の「神田川」などを口ずさみながら、洗面器片手に近くのお風呂屋さんへ行った帰り、彼の部屋にあがり込み、一升瓶の二級酒や、安いウイスキーを茶碗で飲みながら、夜を徹して芸術論や恋愛談義に花を咲かせたものです。


    それでもやはり、家族と離れて暮らす寂しさが、時として自分の胸にふっと入りこむことがあって、それはたいてい夕刻、近所の家々に灯(ひ)がともり、台所で食事の支度をする音が聞こえてくる頃でした。


    今までは当たり前すぎて、何とも感じなかったこうした生活の雑音が、ひとりになってはじめて、何かとてもかけがえのないような貴重なものに感じられ、「家」というものの持つ温かさや、人間はそれぞれひとりであっても、いろいろな人とのつながりの中で生きているんだと、実感させられたのでした。


    若いときに親元を離れて経験する独り暮らしは、自分を見つめ,自分を支えてくれる多くのものに気づくための、おとなへの飛行訓練だったのかもしれません。

     

    Comment
    大滝さんの一人暮らしを始める一昔前、昭和36年の秋(中2)で家を出て東京暮らし。東京オリンピックの前で新宿駅は板壁の中でした。大田区立大森第3中学に編入。日比谷高校長の飯塚先生が区立中学から人材を育てる理念で当時の東京教育大学や私立大学の若手助教授クラスを集めた特殊な中学でした。大森3中〜日比谷高校〜東大を目指す人達、帰国子女など私立大学を目指す人達等々同学年16クラス881人のマンモス中学でした。語学は英語の時間ではなく「外国語」音楽はそれぞれの自前の楽器を持っての授業、体育祭は全校生徒2400余名で芝公園陸上競技場でした。偶々の下宿が大森新井宿で中学の学区内でしたが、全国からの越境生徒が多く編入審査が厳しく、何とか3年B組に編入。毎週の試験結果が廊下に張り出され881人中663番が最初でした。田舎育ちの僕にとって信じがたい世界でした。見事に都立高校も私立も付属高校も落ち中学浪人の予定が迎えに来た母と夜行急行の「佐渡」で翌朝、柏崎駅に着いたら新潟県立高校の受験日でした。柏崎高校時代は中学のショックからか全く勉強せずに校庭を花いっぱいにする事だけでした。昭和39年新潟国体の柏崎会場、高校と柏崎第一中学・陸上競技場との道路沿いに仮設の花壇140mを花で見事に飾り、感謝状や生物部の100人程の部員を11班に分け、各班に正副班長・会計を配置し会計・副部長二人と部長職に邁進。見事に大学受験も失敗。浪人も途中であきらめ、色々あって県庁採用。3回の辞表も没になり定年まで勤めることが出来、退職して今年で9年。東京には37歳で当時の麻布に有った「自治大学校」に半年。全国の都道府県・当時の政令都市職員128名での青春でした。その後平成8年から2年間東京事務所課長として勤務。中学時代の体験、全学連デモ・フランスデモ・歌声喫茶・神田川等々、少しませた人間形成になりました。・・・・・貴兄の文章に触発され、余計な事を書きました。弥彦のご案内有難うございます。益々のご活躍を。
    • 吉野孝也
    • 2016/08/05 8:15 PM
    吉野さん、いやあ、すごい、波瀾万丈の青春物語ですね。それぞれの場面が,彷彿と目に浮かぶようです。青雲の志、挫折、再起・・・境遇は違いますが、五木寛之の「青春の門」を思い出しました。ありがとうございました。もし良かったら、ぜひ、それぞれの時代の思い出を、何かに投稿して下さい。








       
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