小さな美のポケット 第25話「幸福な第一歩」

2018.05.02 Wednesday 20:58
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    村上新聞連載エッセイ「小さな美のポケット」第25話が、一昨日の日曜日に掲載となりました。いつもは月初めの日曜なのですが、大型連休のためか、今回はひと足早くの掲載です。


    テーマは「幸福な第一歩」と題して、ぼくが本業の村上木彫り堆朱を始めた20歳のとき・・・原始時代のお話です。(笑)


    新聞は白黒のため、一応カラーの添付写真も載せておきますね。

    初めて、図案、彫り、塗りを自分ひとりで手がけた作品。
    「堆朱」と言っても、朱を使わず、「うるみ」という朱と黒を半々ずつ混ぜ合わせた色漆で仕上げた色紙箱です。


    この記事を読んだ父と妻の反応。
    父「おまえ、こんなの作ったんだっけ? 俺はマッタク覚えてない・・・」
    妻「あなたも昔はこんなの彫れたのね。知らなかった・・・」


    家族にも知られざるぼくの過去・・・思えば遠くまで来たもんだ。(^^ゞ

     

    *************(記事全文)*************

     

    第二十五話「幸福な第一歩」

     

    言うまでもなく「村上木彫り堆朱」は、すべてが手づくりです。木地を作り、図案をつけ、彫刻を施して、全部で十六とも十七とも言われる漆塗りの工程を経て完成します。完成までは、短いもので一ヶ月半、長いものは半年もかかります。この彫り、塗りの一つ一つの技を、完全に身につけるには、長い時間と多くの経験が必要だと言えるでしょう。


    ぼくがこの仕事を始めたのは、東京の美術短大から家に帰省していた夏休み、「どうだ、ちょっとやってみるか」と父に言われ、父がつけてくれた図案を小箱に彫ってみたのが最初でした。


    その頃、父の仕事場には、Aさんという女性の弟子がいました。二十代の頃から、うちに住み込みで弟子に入り、ぼくにとっては、小学生の頃から何かと世話をしてもらった姉のような存在でした。敬虔なクリスチャンで、茶道への造詣も深く、多くの本を読む勉強家で、父も彼女に教えられることが多くあったと言います。


    そのAさんが、ぼくの使う彫刻刀を研いでくれました。村上堆朱で使う彫刻刀は、上から見ると逆Vの字の形をし、左右に刃がついた「裏白」(うらじろ)という名の特別のものです。慣れないぼくは、無理に力を入れすぎて、その刃をすぐ折ってしまうので、彼女はその都度、何度も研ぎ直さなければなりませんでした。


    そんな苦労をかけながら、ぼくはようやく一通りの彫り方を覚え、大学を卒業してからは、塗りの方も少しずつ教えてもらうことになります。


    最初に手がけたのは、角丸(かどまる)の角盆と、足が「く」の地になっている花台でした。初心者には難しい品物ですが、父はあえてごまかしがきかないものを、ぼくのために選んでくれたようです。


    厚く漆を塗りすぎて、「縮み」というシワができたり、力任せに研ぎすぎて、せっかく中塗りまでやったのに、素地の木が表面に出てしまったりと、ひどい失敗をいくつもしました。生漆(きうるし)の桶の中に、木の粉をひっくり返してしまい、Aさんが大量の漆をすべて漉し直すはめにもなりました。


    そうして上塗り以外のほとんど全ての工程を、自分でやることにより、ひとつのものを美しく仕上げる苦労と、先人が工夫した技の数々を、身にしみて学ぶことができたのです。それが、父とAさんに導かれた、ぼくの幸福な第一歩なのでした。

     

     

     

    その頃、弟が撮ったと思われる、こんな写真も見つかりました。たぶん、初めての桐箱の箱書きだったのでしょう。(笑)

     

    小さな美のポケット第24話「町屋育ち」

    2018.04.02 Monday 19:38
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      「町屋のお人形さま巡り」も、明日でもう終わりですね。
      「小さな美のポケット」(村上新聞連載エッセイ)の第24話が、昨日掲載となりました。タイトルは「町屋育ち」。


      城下町村上の町屋に生まれ育った自分が、町屋の良さをほんとうに実感できるようになったのは、中年を過ぎてからでした。長い間かかって自分に擦り込まれた、空間の美意識・・・それはもう理屈ではありませんね。


      よく「ウナギの寝床」と言われますが、こういう家に住むことを心地良く感じるのは、ぼくの前世は、もしかすると「うなぎ」だったのかもしれません。

       

      ************(記事全文)**************

       

      第二十四話「町屋育ち」

       

      村上では毎年三月になると、町屋商人(あきんど)会の人たちの手により「町屋の人形さま巡り」が開かれます。西暦二千年に始められたこのイベントは、九月の「屏風まつり」と並んで、春や秋を彩る風物詩として、もうすっかり地域に定着したと言っていいでしょう。


      城下町村上には、歴史的な文化財として、武家屋敷も数棟残っていますが、街の中心街には、未だ、間口が狭く、奥行きの長い町屋が並び、昔からの庶民の暮らしを伝えています。ぼく自身もこうした町屋で育ったので、昔のままに使われている家にはいると、幼い頃の思い出がふっと蘇り、とても懐かしく感じます。


      表の戸や窓には、細かな格子がはめられ、玄関から裏口まで、まっすぐに土間が通っています。部屋はその土間の片側だけに並び、途中には必ず、光を取り入れるための中庭がある。また「茶の間」は、天窓のある屋根までの吹き抜けで、太い梁がむき出しのまま。真ん中には囲炉裏が切られ、自在鈎が吊されています。高いところに神棚、その下に仏壇が据えられ、幅の広い鴨居や、「箱階段」という収納を兼ねた階段には、漆が塗られ、見事な艶を見せているのです。


      しかし、こうした町屋の良さも、若い頃は全く理解できず、寒くて薄暗くて、部屋の間取りが自由にならない家の造りを恨めしく思っていました。毎日のように手伝わされた家の掃除も、長い土間に水を撒き、端から端まで箒で掃いていくのは、ひどくたいへんな作業だったのです。


      けれども年齢を重ねるうち、町屋の機能的な面がいろいろ見えてきました。夏には土間を涼風が吹き抜けます。また土間にある台所は、水や油がはねても平気。木が植えられ、石灯籠の配された中庭は、心の安らぎを与えてくれると同時に、冬は屋根の雪を下ろす場所にもなります。


      そして何よりも、どっしりした風格あるたたずまいが、何世代にも渡って連綿と続いてきた家の暮らしを伝え、地域の風土に即した住まい方を、ぼくらに教えてくれます。


      村上の伝統的工芸品である「木彫り堆朱」も、障子戸を通して中庭から入る、ほのかな光の中に置かれてこそ、その赤い漆が美しく浮かびあがるものなのではないでしょうか。


      町屋は、庶民の生活文化を育み慈しむ「お母さん」のような存在なのかもしれません。

       

      小さな美のポケット 第23話「国際美術展が来た!」

      2018.03.05 Monday 20:13
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        きのう掲載の村上新聞連載「小さな美のポケット]第23話は、もう30年も前のイベントを取りあげた「国際美術展が来た!」でした。
        この赤いバルーンのトレーラーに記憶がある方も、大勢いらっしゃると思います。


        超一流の現代美術作品、たった1日だけの美術展、そして4,500人もの入場者・・・それ以前も、それ以後も、こんな展覧会はありませんでした。


        このイベントを、たくさんの協力者とともに主催できたことは、今でもぼくの喜びです。\(^O^)/

         

        以下、全文です。+++++++++++++++++++

         

        第二十三話「国際美術展が来た!」

         

        それは、今から三十年ほど前の一九八八年九月二十一日のこと。今の村上体育館が建つ前の旧体育館は、夜に入っても、驚くほどたくさんの人たちが、続々と詰めかけてきていました。


        この日、そこには、世界三十四カ国から集められた現代絵画の大作が、百五十四点も展示されていたのです。これだけ大規模な美術展が、たった一日だけ、しかも夜九時までも開かれるのは、全く異例のことでした。


        この作品を運んできたのは、屋根に巨大なバルーンがとりつけられた大型トレーラー。夜になるとその真っ赤なバルーンに明かりが灯されて明るく輝き、人々の目を引きつけます。ギャラリーに上がって、次々と訪れる人の波を見ていたぼくの胸には、この村上の人たちに、世界規模の良質な美術展を見てもらうことができたという喜びが、沸々と湧いてきたのでした。


        この美術展は、ユネスコを中心とした南アフリカの人種差別に反対する組織が、世界的に活躍している八十一人の現代美術家に呼びかけて実現し、世界中を巡回しているもので、「アパルトヘイト否!(ノン)国際美術展」という名前がつけられていました。


        これを村上で開くことになったきっかけは、その二ヶ月ほど前のある夕方、ぼくの家にかかってきた一本の電話でした。それは当時新潟市にあった、創庫美術館の代表、清水義晴さんからで、村上に国際美術展を巡回させませんか、との、びっくりするようなお話だったのです。


        ロバート・ラウシェンバーグ、アントニ・タピエス、ロイ・リキテンスタインなどという、世界一流の現代美術家の作品を、この村上の地に呼ぶことができる! 興奮したぼくは何としてもこれを実現させようと、早速、行政をはじめ、まちづくりや美術関係の人たちのところを回って協力を頼み、実行委員会を組織しました。


        何もかも異例のことなので、この美術展の開催に疑問や戸惑いも多くありましたが、幸いそれにまさる多くの人たちが応援してくださり、特に自らも絵を描かれる当時の教育長渋谷敏雄先生も、即断で会場設営の費用は市が持つことを約束してくれました。


        ぼくらは精力的にチケットを売り歩き、なんとか実現できたこの国際美術展は、一日だけで入場者数四千五百十二人という記録的な数字を生み、この町の人々の、文化に寄せる関心の高さを証明したのでした。

         

         

        小さな美のポケット 第22話「小さな店づくり」

        2018.02.05 Monday 21:25
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          1月は連載がお休みだったので、2ヶ月ぶりの掲載です。


          小さな美のポケット 第22話のテーマは、「小さな店づくり」。
          1988年9月、村上市中央商店街の一角に、10人の若い仲間たちで、「オム・マーケット」という雑貨店を手づくりしました。


          「村上のまちに、ささやかでも新しいデザインの灯を点すんだ」
          ・・・今考えると、ずいぶん気負っていたものだなあ・・・と苦笑したくなりますが、あの頃のぼくらには、沸々と湧き立つような熱い想いが、いつも胸の中に渦巻いていたのです。


          挑戦と挫折・・・その繰り返しの中で、さまざまな教訓を得、自分の世界を広げてこられたのは確かですが、未熟さを自覚しながら、それでも闇雲に走らずにはいられなかった、あの頃の自分の情熱が、妙にいとおしく感じられるのはなぜでしょうか・・・。


          かといって、還暦過ぎてから妙な色気を出すと、手ひどい火傷を負いそうですが・・・。(^^ゞ

           

          ************(原稿全文)***************

           

          第二十二話「小さな店づくり」

           

          村上市の中央商店街。「カフェテラス・ブラウン」という喫茶店の隣に、九人の仲間たちと、ガラスのおもちゃ箱のような小さな雑貨店をつくったのは、今から二十九年前の九月のことでした。


          店の名は「オム・マーケット」。歩道に面した側は全面ガラス張り、店内には石目模様のクロスが張られ、棚に並べられた商品は、カラフルな色のヨーロッパのおもちゃ、オリジナルプリントのTシャツやトレーナー、モダンなデザインの陶器や漆器、木のクラフトやアクセサリーなどでした。


          また商品棚の下には、「情報ボックス」という引き出しがあり、お客様が自由にこれをあけて、お気に入りの店の情報を手にすることができるという、言わばインターネットが普及していなかった時代の、ホームページのローテク版のようなものもありました。


          この店を作ることになったきっかけは、その数ヶ月前、一軒のログハウスを借り、「おもしろ大好き人間集まれ!」と題して開いた一夜のトーク集会です。これは、一般の人たちには難解だと思われがちの現代アートを、暮らしに潤いを与えるものとして、もっと身近に感じてもらおうと開いたセミナーのようなものでした。これをアートだけでなく、物のデザインにまで広げて、具体的、継続的に展開していこうと計画したのが、このささやかな店づくりだったのです。


          といっても、ぼくらにはそれぞれ本業があり、まとまった資金などはありません。お互いに、少ない小遣いを出し合い、店のほとんどを手づくりしました。


          ぼくらの唯一の強みは、十人のメンバーそれぞれが、建築、内装、グラフィック・デザイン、イラストレーションなど、プロの専門技術とデザインセンスを持っていたことです。その力を結集することで、小さいながらも、「村上にデザインの灯をともしたい」という熱い想いを形にしたのです。


          残念ながら店は二年くらいしか続きませんでしたが、その間、ふだん接することの少ない若い人たちがたくさん訪れ、クリスマス・フェアなども開催して、少しは賑わいを創出することができたのでは、と思っています。ぼくは、このときの経験から多くを学びながら、その後も、自分の本業である漆の仕事を通して、「暮らしの中にもっと美を」という提案を発信し続けていくことになるのでした。

           

           

          小さな美のポケット 第21話「作品の発想」

          2017.12.03 Sunday 16:13
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            師走最初の日曜日。村上新聞連載エッセイ「小さな美のポケット」の第21話が掲載されました。タイトルは「作品の発想」です。


            ぼくの師匠である佐渡の高橋信一先生は、「作品づくりで一番大事なのが『発想』。作品の良し悪しは『発想』で決まる。」と常々言っておられました。


            何を描くか、どういうふうに表現するか。それは、制作する者にとって、一番頭を悩ませることでもあります。また、作品を鑑賞する人にとっても、一番知りたいことではないでしょうか。


            そんなことを、ぼくが大好きな「須田寿(すだひさし)さん」の絵を紹介して、ちょっとだけ書いてみました。記事はモノクロのため、カラーの画像をいっしょにアップしておきますね。

             

            ************(原稿全文)***************

             

            第二十一話「作品の発想」

             

            ぼくが今まで発表した平面作品の多くは、何を描いたのかよくわからない、抽象的なものでした。展覧会場で一般の人から、「いったい何を表現したのですか」「どこからこの発想が生まれたのでしょう?」と聞かれることが頻繁にあります。


            「花」とか「鳥」とか、何となくでも、描いたものがわかると安心するようなのですが、ぼくの作品のように、花とも鳥とも見えぬものは、それを見る人にとっては、どうも居心地が悪く、落ち着かない気分になるようです。


            作品の発想は、その人それぞれです。何か具体的なものをスケッチして、そこから作品を紡ぎ出す人もいれば、ぱっとひらめくインスピレーションによって制作する人もいるでしょう。また、何枚も下絵を描き直して、ひとつの作品を作り上げるタイプの人や、いっさい下絵を描かずにいきなり生の素材と向き合う人など、千差万別です。


            ぼくの場合は、事前に、「こんな感じにしたい」という、色とか形とかを総合したひとつのイメージがあって、それに従って簡単に下絵を描くことがほとんどです。あとは、素材が漆ですから、タンポで叩いたり、彫ったり、研ぎ出したりという作業を通して、自然に現れてくる効果を生かすようにしています。何か具体的なものを表現するよりも、漆という素材を用いて、独特の雰囲気を持った、ひとつの世界をつくりたいという思いが強いのかもしれません。


            ぼくは、須田寿(ひさし)さんという油彩画家の絵が、ことのほか好きです。画面に描いたというより、画面の奥深くから浮かび上がってくるような須田さんの風景を見ていると、そのシンプルな構成や、暖かな色彩、豊かなマチエールにうっとりと陶酔してしまいます。そして「絵」というものは、見えるものを描くのではなく、見えるものを通して、「見えない世界」を描くものなのではないだろうか、と思えてくるのです。


            ちょうど、いろいろな音を組み合わせて美しい旋律をつくる音楽のように、点や線、形、色、肌合いなどを通して、心の印画紙に焼き付けられるような、奥深く美しい空間を創造したい。じっと見ていると、何かほんのりと温かなものが心の中に芽生えてくる、そんな豊かなイメージの世界をつくりたい。ぼくはそう願いながら、いつも未熟な頭を悩ませているのです。

             

             

             

             

             

            小さな美のポケット 第20話「みんなで した ぎゃらりー」

            2017.11.05 Sunday 21:02
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              市展も無事3日間の会期を終え、きょう終了しました。ご覧下さったみなさん、ありがとうございました。


              さて、きょうは月初めの日曜なので、村上新聞に連載中のエッセイ「小さな美のポケット」第20話が掲載されました。今回のタイトルは「みんなで した ぎゃらりー」です。


              村上の中心部から、旧瀬波町へ行く途中に通る「瀬波街道跨線橋」。その地下歩道に陶画を飾る目的で、その原画づくりのため、20年ほど前に行った「布絵わーくしょっぷ」について書きました。


              このプロジェクトの実行部隊は、弟の聡をはじめ、上山遒気鵝∀妥聴賣匹気鵝∋馨紊△鼎気気鵝更科五月さん(現姓:大島)、川瀬詠子さん(現姓:久保田)と布絵指導の竹越アイさんという、ぼくを含めて8名の、まだ若きそうそうたるメンバーでした。


              100人を超える参加者の方々が、夏休み中の4日間にわたって、大汗をかきながらつくりあげた20枚の布絵は、そっくりそのまま陶壁画に置き換えられ、現在も地下歩道を通る人たちの目を楽しませています。

               

              ************(原稿全文)***************


              第二十話「みんなで した ぎゃらりー」

               

              それは、今から二十一年前、平成九年夏休みのこと。うだるような暑さの中、瀬波体育館の床に、巨大なカルタのように並べられた二十枚のベニヤ板を囲んで、大勢の親子連れが、楽しそうに布きれを貼り付けています。


              「布絵わーくしょっぷ」と名づけられたこの集まりは、村上市中心部から瀬波町へと向かう途中にあった踏切を、立体化するため建設することになった跨線橋の歩行者用地下通路に、壁画を設置する計画の一環として、市民の手による原画作りを目的に開かれたものでした。


              自転車と歩行者が通る地下道を、少しでも明るくし、治安を良くしようと考えた行政側は、当初、名のある画家にその原画制作を依頼する予定でした。


              けれどその相談を受けた弟とぼくは、「実際にこの地下歩道を利用するのは、地域の住民や近くの学校に通う子どもたちだから、その人たちに原画を描いてもらおう。それには、年齢に関係なく、誰でもが参加できる「布絵」が最適ではないだろうか。」そう考えて、五人の仲間たちとともに行政を説得して、このワークショップを企画し、参加を募ったのです。その結果、ぼくらの呼びかけに応じて集まってくれたのは、三歳から七十歳までの、総勢百四人の方たちでした。


              七月と八月の日曜日、計四回に分けて行われたワークショップでは、まずみんなで現場である施工途中の地下歩道まで歩き、全員で手をつないでこの歩道の長さを実感し、これからつくる自分たちの絵が、実際にどんなふうに設置されるかを見ました。様々なレクリェーション・ゲームや布による似顔絵づくりで、お互い親しくなった後、グループに分かれ、「空」「風」「光」「声」「彩り」の五つのキーワードの中から好きなテーマを選びます。そしてそのテーマに沿って板に下絵を描き、いろんな柄の布を、どんどん貼り付けていくのでした。


              最後の日、全員汗だくになりながらも、二十枚の実物大の布絵が完成。数ヶ月後、この絵を基にした陶壁画が、現場に設置されました。コンクリートの殺風景な地下歩道は、この夢あふれる壁画によって明るく彩られ、今でもここを通る人の心を温めてくれています。


              ちなみに、この壁画の名前は、「せんろした あーとした みんなでした ぎゃらりー」と名づけられたのでした。

               

               

               

               

               

              小さな美のポケット 第19話「星空への憧れ」

              2017.10.02 Monday 20:57
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                昨日は、早々に10月最初の日曜だったので、村上新聞に「小さな美のポケット」が掲載されました。第19話「星空への憧れ」です。


                小学校の時、夢みていた天文学者に、もしもなっていたら、今頃どんな生活をしているのだろう・・・と考えることがあります。


                山奥の天文台で、星空を見上げながら、ひっそりと暮らすのも悪くないな、と思いながら、でもやっぱりぼくには無理かな・・・。大勢の仲間たちが近くにいる、地方の城下町での暮らしのなかで、時々夜空を見上げるくらいが、ちょうどいいのかもしれません。(*^_^*)

                 

                ************(原稿全文)***************

                 

                第十九話「星空への憧れ」

                 

                街中に住んでいると、最近、満天の星を見ることが、全くと言っていいほどなくなってしまいました。それでも、出がけから帰って、車を車庫に入れ、ふと見上げた夜空に、いくつかの星座を見つけたときには、心がすうっと透明になり、懐かしく温かなものに満たされる気持ちがします。


                ぼくが初めて星空を意識して見上げたのは、小学校四年生のときでした。夏休みの自由研究のテーマを「星」に決め、親が買ってくれた「星座と伝説」という本と、科学雑誌に付録としてついてきた「星座早見盤」を持って、星のよく見える瀬波の海岸に連れて行ってもらったのです。そのころはまだ、瀬波温泉のホテルは大型化されておらず、岩船港の灯りも届かずに、海岸からは空一面、こぼれ落ちるくらいの星の光を見ることができたのです。


                北天にかかる雄大なひしゃく「北斗七星」、年中ほとんど動かない北極星、Wの形をした「カシオペア座」、七夕の織姫・彦星と白鳥座の尾の星でつくる「夏の大三角」、そして不気味な赤い星を心臓に持つ「さそり座」など、それぞれの星や星座にまつわる神話を思い描きながら、気の遠くなるほど遙かな時間を旅してくる光を見ていると、自分がいまここに存在するということさえ、何かとても不思議で、神秘的なことのように思えてきます。


                一千光年の彼方にあるという北極星の輝きは、つまりは紫式部や清少納言の生きていた平安時代に光ったものが、今ようやくぼくらの目に届いているのだと思うと、時間と空間が絡み合う宇宙空間がどういうものなのか、ぼくはとても興味をかき立てられるのです。


                この自由研究が学年代表に選ばれ、初めて全校生徒の前で発表する機会を得て、自信をつけたぼくは、「将来、ぜったいに天文学者になるんだ」と思い込んだほどでした。


                星座を形作る星たちは、実際は遙かに離れた距離にあり、総量からいうと、宇宙というのはほとんど「がらんどう」に近いというのに、ぼくらの見上げる空には、こんなにもたくさん、美しい光が散りばめられている。地球という星で、それを見ることができるって、なんと素敵なことなのだろう・・・。


                天文学者になる夢は実現しませんでしたが、この星の世界には、ぼくは今でも強い憧れを持ち続けているのです。

                 

                小さな美のポケット 第17話「心に届くほめことば」

                2017.07.31 Monday 19:48
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                  「心に届くほめことば」と題した「第17話」が掲載されました。(村上新聞、月1回の連載「小さな美のポケット」)

                   

                  人は誰でもほめられたい。ほめられると嬉しい。でも、相手が営業マンだったら・・・? 洋服売り場の店員さんだったら・・・?

                   

                  何か下心があるんじゃないか、と思われそうで、こちらが人をほめる時も、なんとなくためらってしまう。どこか照れくさくて、また皮肉だと受け取られそうで、ほめ言葉が出てこないこともありますよね。ホントに、人をほめるって難しい。

                   

                  でも、みなさんからの「お褒めのコメント」は、下心がないことはわかってますから、遠慮なく、ためらいなくどうぞ。(笑)

                   

                  ************(原稿全文)***************

                   

                  第十七話「心に届くほめことば」

                   

                  ぼくは今、多少とも美術に関わる仕事をしていますが、小学校の頃は「図画工作」がそれほど得意だったわけではありません。むしろ、絵に対してはコンプレックスがあり、自信が持てない方でした。友達が県のジュニア展に入選したと聞いても、「すごいなあ。ぼくにはとうてい無理だ」と思ったものです。


                  ところが、小学校何年生の時だったか、学校で「写生会」があり、その当時、村上のまちのはずれにあった化学工場のそばの林に行きました。そしてそこで描いたぼくの絵が、数日後、驚いたことに学校の講堂に張り出されたのです。でもぼくは、自分の描いた稚拙な絵の、いったいどこが良いのかわからず、何かの間違いじゃないのかとさえ思いました。


                  それでも、その話を両親に話すと、二人はさっそくその絵を見に学校へ行きました。そして帰宅すると、まだ半信半疑のぼくに対して、「工場の煙突や建物などを描いていた子が多い中で、おまえは、林の中の、木や草という目立たないものを、とてもていねいに描いていたね。そこが新鮮で良かった。」と、具体的にほめてくれたのです。これを聞いてぼくは「なるほど」と思うと同時に、ようやくふつふつと嬉しさがこみ上げてきました。そしてこれ以後、ちょっぴり絵に自信が生まれたのです。


                  ぼくの師匠である高橋信一先生は、世界的な版画家であると同時に、佐渡の両津高校で教鞭を執った優れた教育者であり、無類のほめ上手で、そのほめ方は、「生徒全員をひいきする」という信条に基づいた、とても力強いものでした。「うまい! よくやった! 百点!」と、生徒の頭をゴツンとたたく。ほめられた方は、痛いけれども、単に口でほめられるより何倍もうれしいのです。人は誰でも、ほめられることで、多くの勇気や意欲を与えられ、その才能を伸ばすチャンスが得られます。


                  けれど、人をほめることはそう簡単ではありません。その人が一生懸命やったことに対して、口先だけではなく、まごころで真剣にほめる。そして、必ず具体的な点を指摘してほめることが、最も大切のことのようです。


                  ぼくも、そんな相手の心に届くほめ方ができるようになりたいと思いつつ、いまだに自信がもてないでいます。誰か「お前のほめ方は上手だ」と、嘘でもいいから言ってくれないかなあ・・・。(笑)

                   

                  小さな美のポケット 第16話「イメージ一新の店づくり」

                  2017.07.02 Sunday 16:56
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                    「小さな美のポケット」(村上新聞連載エッセイ)第16話。


                    今の店舗をつくった時の思いを綴りました。タイトルは「イメージ一新の店づくり」、添付の写真は、建築雑誌「商店建築」に掲載された記事です。


                    あれからもう32年。その後1度、店に車が突っ込んだ事故の時に一部改装をし、商品や作品の種類も多くなって、展示台も増やしました。あちこちかなり傷んではきたけれど、当時の熱い思いだけは、今も変わらずに持ち続けているつもりです。


                    この店づくりは、ぼくのさまざまな活動の出発点とも言えるもので、お世話になった多くの方々に、あらためて感謝したい気持ちでいっぱいです。(*^_^*)

                     

                    ************(原稿全文)***************

                     

                    第十六話「イメージ一新の店づくり」

                     

                    戸棚の奥深くしまわれるような高級品ではなく、現代の暮らしに溶け込み、使って楽しい漆器を提案する店をつくりたい。伝統技術を受け継ぎながらも、アート感覚をミックスした、ハイセンスなデザインの品が並ぶ店にしたい。・・・それは以前から、うちの家族みんなが考えていたことでした。


                    昭和六十年、それを実現するための絶好の機会が巡ってきました。前の道路が拡幅されることに伴い、今までの店を解体して、新たな店舗を建てることになったのです。


                    父は、弟とぼくにそのデザインを任せてくれました。どうせなら、今までの漆のイメージを一新するようなものをと、ぼくらは張り切っていろいろなアイデアを出し合うとともに、実際の設計は、当時知り合ったばかりの新進気鋭の建築士であった野澤繁さん、野口幸輔さんのお二人に依頼。そして新しい漆のイメージから、近代抽象絵画の草分け的存在であったオランダの画家「モンドリアン」の絵を参考にして、モノトーンの中に三原色が配置される幾何学的な構成を、デザインの基本とすることを決めました。


                    漆の色が美しく見え、お客様が直接手に取ることができるようにと、それまであったガラスの陳列ケースをやめ、商品は壁や天井と同じグレーのクロスを張った棚や、四角い展示台に、直接ディスプレイすることにしました。


                    その商品も、従来の村上堆朱のほかに、黒漆の艶とカラフルな色漆を用いた箸や皿、小鉢など、オリジナルのものを新作。これを機会に店名も替え、ロゴを作り、包装紙やパッケージも一新しました。また店の二階は、父やぼくら兄弟が制作し展覧会に出品した、漆の平面や立体作品を常設展示するギャラリーとしたのです。


                    完成までには、予算が予想以上にオーバーして設計変更をしたり、特注の材料がなかなか来なかったり、設計と施工の間に行き違いが生じたりと、いろんな紆余曲折があったものの、正面ファサードを覆っていた足場やブルーシートが取り払われ、モンドリアン・パターンによる派手な外壁が現れると、およそ従来の漆器店のイメージからは、ずいぶんとかけ離れた店ができていました。


                    おそらく一生に一度の貴重な経験でしたが、これ以後この店は、ぼく自身の創作活動にも、大きな変化をもたらすことになるのでした。

                     

                     

                     

                    小さな美のポケット 第15話「絵画教室を開く」

                    2017.06.04 Sunday 11:27
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                      6月というのに、早春の頃にもどったような肌寒さ。いったい今年はどうなってるんでしょう?


                      きょう、村上新聞の連載「小さな美のポケット」第15話が掲載となりました。今回は「絵画教室を開く」。今から33年前、田端町に新しく建った「レナードビル(獅子座ビル)」に、弟の聡と二人で絵画教室を開いた時の話です。


                      1984年から始めた教室は、名前と場所を変えながら6年程続き、のべ70名ほどの生徒さんと関わりました。「WAVE展」という名で6回ほどグループ展を開き、「指導」などというより、一緒に美術を楽しんだ仲間たちです。


                      チラシのデザインは弟の聡。この頃はまだぼくら兄弟にも、若いパワーがみなぎっていました。今は・・・?
                      パワーの充電時間が長く、小出しにして上手に使うようになりました。(笑)

                       

                      ************(原稿全文)***************

                       

                      第十五話「絵画教室を開く」

                       

                      あれは昭和五十九年のある日のこと。大町で酒店を営んでおられる益田茂彦さんが、突然父を訪ねてこられました。村上の駅前商店街の真ん中に、三階建ての新しいビルを建てることになったのだが、その三階の一室を書道教室として使ってもらえないか、とのお話でした。


                      二階には、益田さんの経営される、当時としてはとてもモダンなカフェバーが入ることになり、駅にも近いことから、気持ちが動いた父は、週二回、そこで書道教室をやることにしました。しかしそのほかの曜日を開けておくのはもったいないので、弟とぼくが二人で、デッサンを中心とする絵画教室を開くことにしたのです。


                      ぼくらの絵画教室は、木曜夜と土曜の午後とし、受講生を募集すると、いろんな年齢層の人たちから申し込みがあり、五・五坪のスペースは、すぐに満杯になりました。


                      この教室の窓側は、全面透明なガラス張りのため、村上のシンボルお城山を正面に、街の見晴らしも良く、とても明るい一室でした。部屋の中央にモティーフを置き、六、七人の生徒さんたちが、それぞれのイーゼルを立てて囲み、熱心にデッサンを描きます。カサコソと鉛筆の音だけが響く室内。下に見える街の喧噪をよそに、この場所には、いつも静かな時間が流れているかのようでした。


                      絵が専門でもないぼくら兄弟が、教室を開くなんて、いま考えると、ずいぶんおこがましいことでしたが、
                      「他人様(ひとさま)に何かを教えるということは、それ以上に自分自身が何倍も勉強しなければできないことだ。自分の精進のために、やってみるといい。」と、父が薦めてくれたことでもあったのです。


                      やがて人数が増えて、金曜日の夜も開くことになり、生徒さんたちの横のつながりもできて、時々の野外スケッチや、懇親パーティーなども企画。さらに何人かの高校生が、志望する美術大学に合格したり、村上市の美術展に教室の生徒全員が大挙して出品したり、また年に一度、「WAVE(ウェイブ)展」という名前で、油絵、水彩、版画、写真、立体など、さまざまな作品によるグループ展を開くまでにもなりました。


                      従来の決まり事にとらわれない自由な発想で、このまちに新しい美術の波を起こしたい。あの当時のぼくらには、若くて未熟ながら、それなりに一途な想いがあったのでした。

                       

                       

                       

                       


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