最近の読書から〜吉田修一「悪人」

タイトルにだまされてはいけない。これはせつないラブ・ストーリーだ。読んだ後に心がじーんとする、そんな小説だ。
保険外交員をしている若い女、石橋佳乃(よしの)が、友人の女性2人と別れた後に、何者かに首を絞められ殺害される。彼女は友人たちには、これから恋人の増尾圭吾と逢う約束をしている、と言っていたが、ほんとうは増尾は一方的に彼女が想っているだけの男で、その晩彼女が逢う約束をしていたのは、出会い系サイトで知り合った土木作業員の清水祐一だった。
だが彼女の死体が発見された後、なぜか増尾圭吾が行方をくらましており、警察は増尾圭吾を容疑者と見て、その行方を追う。佳乃と圭吾と祐一の間に何があったのか・・・
その謎が解明される方向で物語は展開するのかと思いきや、実はそうではなかった。この3人をめぐる周辺の人たちのさまざまな人間関係や心理が、丹念な筆致で語られていく。
ミステリーの要素は少ないし、なかなか筋が進展しないもどかしさはあるものの、どうしようもない境遇に縛られ、あがきながらも必死に生きている人たちのそれぞれの思いが、ストレートに伝わってくるのだ。
やがて祐一は、出会い系サイトで知り合ったもうひとりの女性馬込光代と、果てしない逃避行に及ぶことになる。狂おしいほどの愛を共有しながらも、じわじわと追い詰められていく二人。そして劇的な結末・・・。
この小説は、毎日出版文化賞と大佛次郎賞をダブル受賞しており、本屋大賞にもノミネートされた。また、妻夫木聡、深津絵里の主演で映画にもなり、深津絵里さんはこの作品で、モントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション最優秀女優賞を獲得している。
ぼくは、吉田修一は山本周五郎賞受賞の「パレード」しか読んでいないが、それとはずいぶん趣の違う本作だ。なかなか味わい深い言葉が随所に盛り込まれており、その中でぼくの心を捉えた一文がこれである。思わず震災で大切な人を亡くした多くの方たちが思い起こされた。
「ひとりの人間がこの世からおらんようになるってことは、ピラミッドの頂点の石がなくなるんじゃなくて、底辺の石が一個なくなることなんやなぁって。」










