最近の読書から 〜桐野夏生「OUT」



桐野夏生って、よく聞くけど、男性? 女性?
それすらわからずに、この本を手にすると、カバーの見返しに写真があった。
なんだか怖そうな女性である。
1951年生まれ、いくつもの文学賞を受賞している、まさしく切れ者、才女である。
この作品は、「日本推理作家協会賞」の受賞作で、映画化もされているようだ。

主人公は、東京郊外の弁当工場で、夜勤の仕事を続けている「雅子」という中年の主婦。
ただし、章ごとに一人称の主が替わり、登場人物それぞれの心理が、リアリティを持って描かれている。

雅子は、夫、息子と3人暮らしだが、夫とはすでに心が通じなくなって寝室も別だし、息子は親とは口も利かず、部屋に閉じこもったままという寒々とした家庭だ。

そして同じ職場の仲間には、寝たきりの口やかましい姑の介護をしているヨシエ、ブランドものを買いあさり借金地獄に陥っている邦子、夫のギャンブルと暴力に悩む弥生がいる。

話は、弥生が、夜勤明けの朝、思いあまって夫を殺害し、雅子に助けを求めるところから本筋に入る。必ずしも心の底から信頼している仲間ではないのに、主婦たちが協力して、死体をバラバラに解体して遺棄する、というとんでもない事態になってしまうのだ。はたしてその企みは成功するのか・・・

そしてここにもうひとり、新宿歌舞伎町で2つの店を営んでいた「佐竹」というヤクザまがいの男が話に絡んでくる。この男がそうとう怖い。なのに、雅子は否応なくこの男と対決せざるを得ない羽目になっていくのだ・・・

推理小説ではないものの、主婦たちの生活のどうしようもない閉塞感には、息が詰まりそうになるし、ハラハラどきどきさせられる場面が多く、圧倒的な作者の筆力に、一気に読みすすんでしまう本なのだが・・・しかし、誰にでも気軽に勧められる類のものではない。

とにかく、流血や暴力のシーンがしつこいほど克明なのだ。こういうものが苦手な人は、やめた方がいいと思う。ぼくだって、顔を両手で覆い、指の間からそっとのぞき込んで、ときどき「キャッ!」とか言いながら、やっと読めたのだ・・・(ウソだが)

まあ、ちょっと現実離れしているところもあるけれど、サスペンスとしてはそれなりに面白い作品ではあった。


最近の読書から〜桐生典子「やわらかな針」


手首の筋肉を鍛えるのにも使えそうな、重くて分厚い本がしばらく続いたので、 こんどはもう少し軽いものが読もうと思い、この本を手にした。

こってりした肉料理の後のすっきりしたデザート、すうっと口中で溶けるアイスクリーム・・・かと思いきや、これがどうしてどうして、なかなかに濃厚である。

巻末のプロフィールによると、作者の桐生典子さんは、1956年新潟県生まれ。年齢的にも、地域的にも近い。ぐっと親近感がわく。

「わたしのからだ」というデビュー作以来、女性のからだと精神をテーマにしてきたというが、今回のこの短編集も、官能的というか、生理的というか、女性の中にある「深い心の襞(ひだ)」をのぞき見ることができるような、そんな作品揃いだ。



たとえば、表題作である「やわらかな針」は、こんな話だ。

主人公万里子が、学生の頃から惹かれていた武の婚約者かおりに頼まれて、シルクのパーティドレスをつくることになった。そのかおりは、悪性腫瘍の病気により、残りわずかの余命を宣告されていて、武もそれを承知で結婚しようとしている。武を愛する万里子は、病気を盾に結婚を迫ったかおりを、心の底では憎んでいる。けれど嫉妬心を表面には出さず、彼女と布を選び、売っていた蚕を育てて、その繭で裾をまつってほしいというかおりの願いも受け入れつつ、丁寧に作業を進めていく。そして仮縫いの日。とつぜん二人の本心が暴露されるような、ある事件が・・・

ここに収められている8つの短編は、いずれも、園芸、料理、洗濯、裁縫などという日常生活のありふれた行為の中に、微妙な女性の心理が投影されていて、身体の外と内とが不思議にリンクしているものばかりだ。

それにつけても、ぼくにとっては、いまだ女性はまことに不可解な存在。深く魅力的ではあるが、どこか魔性のようなものを秘めている怖い存在でもある。

「なあんだ、おまえ、その歳になって今頃わかったのか?」

百戦錬磨の末、女性を知り尽くしたあの親友に、また侮られそうだ・・・








雪のショータイム


下渡山(げどやま)と三面川(みおもてがわ)


2月1日に配信したメールマガジン「あなたへ贈る季節のたより」第48号は、「立春」というタイトルだったが、その日の時点で、ここ村上には全く雪がなく、まさに春の兆しを感じさせるような空であった。

ところが、実際の「立春」を迎えてみると、ご覧の通りの雪景色。きょうなど、特に新潟市などでは、81センチの積雪と報道され、交通が乱れに乱れた。雪国新潟であっても、都市部にこれだけ積もるのは珍しい。幸いここ村上では、積雪の量はそれほどではないが、それでも風景は一変した。

きょうの午前、寒波の気まぐれか、ひととき珍しく青空が広がり、たまたま用があって外出すると、雪景色のあまりの美しさに驚嘆。すぐ家に帰ってカメラを持ち出し、撮影する。

その後ほどなくまた雪空に戻り、午後には風も強くなってきたから、これはほんのひとときの、まさに太陽のスポットを浴びた、「雪のショータイム」だったと言えるだろう。

ぼくの拙い写真では、なかなか生の感動を伝えることは難しいが、雪のない地方の方にも、少しは雪の美しさを感じていただけるだろうか。

    
山をめぐって、ゆったり川は流れる



畑の布団と綿帽子



木の枝に積もった雪を「雪持ち」というらしい



雪によって強調される山肌の変化



白と青のハーモニー



雪の花が咲いた林?



下渡(げど)大橋から見ると、山が覆い被さってくるようだ



背骨のような畑・・・



欲張り!



足跡のデッサン

ぼくの本選び

普通ならまず手にとらないであろう本を、図書館から借りて読んでいる。

京極夏彦作「魍魎の匣」(もうりょうのはこ)。

いわゆる推理作家であり、妖怪作家でもある作者の「百鬼夜行」シリーズ第2弾、日本推理作家協会賞受賞作で、2年前に映画化もされ、テレビアニメにもなっている作品だという。だが、そんなことは何ひとつ知らないで借りた。

世に京極夏彦ファンは多いであろうし、妖怪好きな人にとっては、この本はたまらない魅力だろう。

けれど、ぼくは妖怪に興味があるわけでもなく、むしろ「おどろおどろしたもの」はどちらかというと苦手である。おまけにこの本は、1048ページもある。聞くところによると、このシリーズはみな分厚くて、「サイコロ」とか「レンガ本」とか呼ばれているらしい。

にもかかわらず、ぼくはなぜこんな本を読み出したのだろうか・・・魔が差したか、文字通り「妖怪に魅入られた」のかもしれない。



ぼくの本選びは、あまり書評を参考にはしない。6年ほど前から、図書館に通い出したのだが、日本の小説は、作家名のアイウエオ順に並んでいる棚の「あ」から順番に、原則1作家1作品を選んで借りてくる。一番最初に借りたのが、阿井景子「秀吉の野望」、次が阿井涉介「荒南風」・・・という具合で進み、現在は「き」の棚まで来た。

もちろん、その中にはすでに何冊か読んだことのある作家もいるし、名前は知っているが全く読んだことのない作家もいるし、全く名前すら聞いたことのない作家もいる。とにかくいろんな人のものを読んでみたいのだ。

今回の京極夏彦氏の本も、食わず嫌いにならぬよう、ともかく読んでみようと思ったわけである。(三分の一ほど読んだ現在、オカルト的な雰囲気の部分、本格推理の刑事もののような部分、探偵小説風な部分、漱石の「吾輩は猫である」のような、知的ユーモアにあふれた会話の部分などが混在し、ずいぶん凝った造りの面白さを感じる)

読んでみて、あまりに自分の好みに合わない場合は、途中でやめることもあるし、また感性がぴったり合った作家の場合は、1つに限らず、続けていくつかのものを読む場合もある。

それでも、今まで途中でやめたものは、わずかに3,4冊くらい。続けて読んだ作家は、浅田次郎、小川洋子、乙川優三郎、北村薫といった数名である。北方謙三氏の「三国志」は、歴史好きと言うこともあり、全13巻を通して読んだ。

もちろん小説以外にも、読みたい本は山ほどあるので、そのほかに専門書の棚を巡り、ぼくの好きな分野の中から、その時の気分で選ぶ。歴史、天文、気象、数学、物理、美術、デザインなどの本が多い。今まで読んだ中では、何といってもドナルド・キーンさんの「日本文学の歴史全18巻」が、まとまった読書として印象に残っている。

現在、京極氏の本と平行して、伊達宗行さんの「『数』の日本史」を読んでいるが、これもなかなか面白い。この本は、読み終えたら、あらためて感想を書くつもりだ。



とにかく節操がなくて、何もかもつまみ食いしたいという、ぼくの欲張りな性格。時間はいくらあっても足りないが、おかげで毎日を心豊かに過ごせることに感謝したい。


大寒に「梅」

きょうは「大寒」にもかかわらず、全国的に四月並みの気温で、新潟市などでも「梅」が咲いたとのこと。けれどここ村上では、昨日の暖かさから一転、きょうは小雨で、あまり気温が上がらず、寒い一日だった。

それにしても、大寒とは到底思われない雪の少なさである。上中越の山沿いでは、ところによっては3メートルを超すほどの大雪と報道されているので、他県の方からは、村上も大雪と思われているようなのだが、同じ新潟県でありながら、実態はこんなにも違うのだ。

しかしそれでも、春を待つ心に変わりはなく、どこかで梅が咲き出したと聞くと、おもわず心が弾む。少しでも早く「春」を感じたくて、ぼくも、朱溜(しゅだめ)のボウルに「梅」を彫ってみた。





「朱溜」は、朱漆を塗った上に、何も顔料を入れない溜(ため)漆(半透明である)を塗って仕上げたものだから、表面を剥くように彫ると、下から朱色が現れる。紅い梅を表現するには好都合である。

ただ、図を引きしめるために入れた直線を、鉢の外側の曲面に真っ直ぐ彫るのは、根性の曲がったぼくには、なかなかに難しい。何度か失敗をした。

新しいものは、けっしてひと息にはできない。地道に自分のスキルを上げていくしかないのだろう。

それは、春が三寒四温を繰り返しながらゆっくりと訪れるのに、どこか似ているのかもしれないと思う。



(C122 ボウル「溜」 径16.8 高4.7センチ ¥10,500)

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