URU氏の こころのふいるむ

北越後にある小さな城下町の片隅で、漆器の制作を生業としながら、
心のフイルムに捉えられた季節の情景や、日々の暮らしの雑感を綴っていきます。
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お地蔵さまの夜

一昨日、7月23日は地蔵祭。地元の人たちが「地蔵さま」と言っている祭礼だった。

ぼくの住んでいる町内にも、普段は集会所として利用している地蔵堂があり、この晩だけは大勢の参拝客で賑う。



ちょうど2本建てられた幟(のぼり)の間から、十三夜くらいの月が見え、日が落ちると火を灯された提灯や雪洞(ぼんぼり)の明かりが、ささやかな夏の祭礼らしい情趣を醸し出していた。



本堂の中では、近くのお寺のお坊さんたちが何人も招かれて、読経の声が響いている。





また参道の脇には、敷かれたござの上に座った子どもたちが、鐘をたたき、お賽銭を入れてくれたお客さんに、御札(おふだ)を渡すのだが、ぼくの子どもの頃は大勢いた子どもたちも、ほんの数えるばかりとなり、なんとも淋しい。

また2年ほど前までは1,2軒、おもちゃなどを売る夜店も出ていたのだが、それもなくなってしまった。



「南無延命地蔵尊」と墨書された幟(のぼり)は、昭和57年(大昔、ちょうどぼくの結婚した年だ!)ぼくの父が書いたもの。そのために大きな筆と、雨に当たっても流れることのない墨液を準備し、書いたものを裏の河原で乾かしていたのを記憶している。



この日は、町内の各家々で、独自の絵や俳句などをかいた雪洞(ぼんぼり)を玄関先に掲げることになっている。とっぷりと暮れた黄昏時、そこに点された灯が温かく、どことなく人恋しさのような感情を湧き起こす。



わが家の雪洞をしつらえるのは、毎年父の役目。今年は「ほたるぶくろ」を描いていた。



近年は梅雨明けが遅れがちになり、去年などは梅雨が明けたのかどうかさえ特定できないまま夏休みに突入してしまったのだったが、今年は早々と梅雨が明け、連日猛暑が続いている。

「昔は、じぞさま(地蔵さま)の頃は、ひってあっちぇかったもんだっせ(ひどく暑かったものだよ)」と父や母が口癖に言っていたことが、今年ばかりは現実になったようだ。

これが終わるとこの地蔵堂では、8月16,17日の「七夕祭」に向けて、町内青年団による獅子舞やささらすりの練習が始まる。

こうした夏を彩るささやかな季節の行事。できるなら、いつまでも続いてほしいものだ。

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最近の読書から 〜湊かなえ「告白」


かみさんが読みたいというので、ぼくの名前で図書館にネット予約したが、小説推理新人賞や本屋大賞を受賞し、松たか子の主演で映画化もされた話題の本ということで、順番待ちをしてやっと手にすることができた。普段は、二人で同じ本を読むことは滅多にないのだが、今回は彼女が読了したあと、ぼくも読んでみた。



中学1年最後の終業式の日のホームルームで、「この中にわたしの娘を殺した犯人がいる」と語る女性教師。なるほどのっけから衝撃的な展開である。幼い女の子をプールで殺したのは、少年Aと少年B。名前は伏せてはいるが、むろんクラスメートたちには、周囲の状況から誰なのかがわかる。

その女性教師が辞職したあと、クラス担任になった男性教師は、理想に燃える熱血漢。生徒たちの冷ややかな目線を浴びるが動じない。だが、少年Bは不登校のまま、少年Aはクラスメートから執拗ないじめを受ける。そして、巧妙に仕組まれた女性教師の二人への復讐・・・いやいやなんとも教育現場にはおよそ似つかわしくない、暗く悪意に満ちた人間心理だ。

だが、この話には何か隠された「裏」がある。それは何なのか・・・。各章ごとに語り手が代わり、それぞれの人から見た事実が重ね合わされて、次第に真相が明らかになるという、いわゆる芥川龍之介の「藪の中」と同じ手法が用いられて、読者の興味をぐいぐい引っ張っていく。ぼくもついつい引き込まれて、3日で読了した。

もちろん、これはあくまでミステリーであり、現実からはかけ離れてはいるものの、ある意味では、寒々とした世相を反映していると感じる。純粋なエンターテインメントとして楽しむにはちょっと抵抗があるが、かといって、どこかやり場のない、どろどろした関係を忌避するほどではない。なんとも複雑な気分のまま読み進める、そんな小説である。

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最近の読書から〜塩野七生「ローマ人の物語 第4巻・第5巻」


塩野七生著「ローマ人の物語」シリーズの第4巻と第5巻は、「ユリウス・カエサル」(英語読み:ジュリアス・シーザー)が主役である。

長いローマの歴史の中でも、この時代は最も劇的な時代だと言えるし、その主役カエサルは、塩野さん自身がおっしゃるように、まことに魅力的な人物だ。カエサルの生涯をたどりながら、長さにしてたかだか50年くらいのこの時代を、2つの巻に分けて書いたことからも、著者の熱の入れようがわかる。
 

第4巻は、カエサルが生まれてから壮年前期までだが、主にカエサル自身の手によって書かれた「ガリア戦記」をもとに、カエサルがガリア(今のフランス・ベルギー・オランダ・スイス・ドイツのライン川以西・イタリア北部)で、たくさんの部族に分かれて相争っているガリア人を平定する経過が、主に描かれている。

そして第5巻は、カエサル自著の「内乱記」と、カエサルの友人であるが政治的な意見を異にしていた、ローマきっての知識人キケロの書簡などをもとに、有名なルビコン川を渡り、かつての盟友ポンペイウスとの対決、それに勝利を収めてのち行った種々の政治改革、ローマ人を恐怖のどん底に陥れた突然の暗殺、そして、彼の後継者争いと言っていい、アントニウスとオクタヴィアヌスの対決に、エジプトの女王クレオパトラが絡む物語が展開する。



まさに「圧巻」だ。歴史をこれほど面白く読める本は、そうはないだろう。ぼくの頭の中のスクリーンには、映画のような大スペクタクルがずっと映し出されていた。多彩な役者も勢揃いである。

「事実は小説よりも奇なり」と言うが、まるで脚本を書いたように、劇的に展開するこの時代の歴史そのものの面白さや、それを現場にいた本人たちが書き残した一級資料が現存することの、奇蹟とも呼べる幸運もさることながら、ラテン語の原資料を、著者いわく「なめるように」読み、そこに深い洞察力を加え、何度も推敲を繰り返しながら書かれた、著者の塩野さんの力量の大きさには、ほんとうに圧倒されるばかりだ。

往々にして歴史は残酷さを伴い、ことに宗教戦争の頃のヨーロッパの歴史などには、思わず目を覆いたくなるほどの血なまぐさい場面が多いが、ローマ人、特にカエサルは「寛容」(クレメンティア)を政治信条にしていて、戦いに勝っても、敗者を皆殺しにするようなことはまずない。兵士は本人に、自軍に組み入れるか、帰郷するかを選ばせ、司令官も許して放免するのだ。たとえそれが、後に自分の身を危うくすることになっても、である。

カエサルは、諸葛孔明のような、決して奇策によって目の覚めるような勝ち方をする将軍ではない。いつも圧倒的な敵軍を前にして、苦労に苦労を重ねながら、その人間的な魅力によって人を引きつけ、勝利を呼び込むのだ。

それは、敵が憎いから戦さをするのではなく、地中海を自国の内海にするほどに領土が広がったローマに、それに見合う新しい体制を作り上げるため、古い秩序と戦うという確固たる信念があるからだ。敵を許すのも、たとえ意見や立場が異なっている人でも、戦が終わった後では、ともに新しい国をつくっていきたいという考えに基づいている。

ローマが1300年もの長きにわたって繁栄したのも、こういうスケールの大きな人物を輩出する地盤が、ローマの社会にあったからなのだろう。読んでいて、ついつい、今の日本にはこういう人を生み出す力がはたして残っているのだろうか、と思ってしまう。

大河ドラマで「坂本龍馬」を再認識し、こう感じる方も多いだろうが・・・。

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框(かまち)の拭き漆 3



25日に3回目、最後の拭き漆を行った。漆が乾けば完了である。
ぼくとしては、こういう拭き漆は初めての仕事だったので、手順は承知していたものの、どんな仕上がりになるかは、実際にやってみるまでわからなかった。でも思った通りに艶が出たので、正直ほっとしている。

本来の漆器をつくる仕事とはまた別に、古いものを再生する作業は、漆器の修理であれ、陶磁器の金継ぎであれ、おもしろいものだ。

ちなみに、この一連の作業の料金は6万円とさせていただいた。この金額が高いか、安いかは、正直ぼくにはわからない。依頼主が妥当と判断してくだされば、それでいいわけである。

いずれにしても、仕事をさせていただきながら、たくさんのことを学べるのは、お金にはとうてい換算できるものではない。お客様にはもちろん、漆の木にも、そしてこの技術を考え、伝えてくれた先人にも、多大の感謝である。


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紫陽花の蓋物

梅雨前線が停滞し、すっきりしない毎日が続いている。この辺では、雨はそれほど降らないが、とても蒸し暑い。再び豪雨の恐れがあるという九州地方が心配 だ。

季節の花「紫陽花」(あじさい)を蓋物に彫った。色は彫った後で摺り入れたもの。

全体に薄く漆を引き、やわらかな紙で漆を拭き取ると、彫ったところだけに漆が残る。その上から、青や紫などの顔料を綿につけて摺り、余分な粉を拭き取ると、彫り跡だけに色が定着するというわけである。






内部は朱塗り。菓子器や重箱・お弁当の代わりとして、五目ご飯やちらし寿司、ほかにも工夫次第で、いろんな食材を盛り合わせるのも楽しいだろう。

むろん、季節を感じさせる器で食事やティータイムを楽しむ、などということは、贅沢と言えなくもないが、そういう「気持ちのゆとり」を持ち続けることができるなら、「和の心」にも通じ、幸せなことではないかなあ、などと思うのだ。

つくり手のぼくが、ひとりでシミジミしてても始まらないが・・・



  → C280 線刻蓋物のページ

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